入試の面接の質問、志望理由、これはふざけた質問だ。
答え、くだらん学校だが、高校卒とか大学卒になりたくて、資格が欲しくて、他よりましそうな学校だから。
なお、この答えを入試でして不合格になってもどうなっても入試結果には責任をもてません。

 金をとり、時間を奪い、ろくな指導をしないから実力がつかない、これが学校だ。
ただ単に単位とか卒業証書とか資格が取れるから行くだけの話だ。それがあるから学校には力があるだけの話で、それがなければ力は縮小する!

 ろくな指導をしないくせに、単位や卒業の基準だけあげられたら、学生にとって迷惑。
学校は金を払ってもらうのではなく、学生にろくな指導をせず時間を奪う迷惑料を払うべき。

 学校に行ったせいで、いじめやハラスメントのように被害にあっている人もいるだろう。死んでいる人もいるだろう。
金を払って被害を受けに学校へ行きたいかよく考えよう。
金を払って行くに値するところかよく考えよう。

 成績なんて教員の気分で評価基準を作ればどうにでもできるものだろう。
特に、大学なんて、教員の気分で嫌がらせとかで単位を取れないようにしたり、何をしてくるかわからないだろう。
卒業・進級に必須の単位で嫌がらせで単位を取れないようにされたらどうする?
どんな教員が学校ででてくるかわからない。
仮に、この人はいい人と思う人がでてきても、変なのがいて、それのせいで卒業・進級に影響するかもしれない。
そういう不安がある学校に行くべきかよく考えるべきだろう。

 特に大学院、研究なんてどうなるか運不運もあり、テーマを教員が決めたら、自分で決めるのだって教員が承認しているだろうしやってみて上手くいくいかないがあるだろう、そんなんで卒業できるか気にしないといけないって精神的に良いことか?
だいたい、研究なんて運不運もあるし、何をもって努力したか、基準に到達したかなんか判断が難しいだろう。

 仕事をすれば、金をもらいながら、金を稼ぐ方法を学べる。学校に行くのとどっちが得か?特に大学院。
今学校で楽しくしていても、いつどんないじめやハラスメントなどを受けるかわからない。

 仕事をしながら学校に行くのも一つの方法かもしれない。
これなら学校をやめてもそもそも学校より仕事がもともと大切だし、教員にふざけた態度をとられる可能性が減るかもしれない。

 大学教員・学校教員、これらの人は尊敬すべき存在でない。他人の人生を破壊する存在、社会の迷惑、そうではないかと思って考えてみるとよいかもしれない。

Posted by 大学教員を許さない at 14:52