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Posted by つくばちゃんねるブログ at
 大学院へは行かないほうが良い。
修了(卒業)に関して、研究成果について言われないだろうか。
研究成果って、教員が決めた内容だと、その内容の選択肢が一つでも複数でも、どうなるかは運の要素があり、そもそも研究テーマや運次第の成果は研究内容を決めた教員の責任である。
自分で考えた研究テーマでも教員が承認しているはずで、指導者の責任がある。
しかも、研究成果が十分かどうかなんか教員の気分次第だし、努力が十分かを評価と言っても教員の気分次第になる。
それって、精神的にしんどくないだろうか。就職すれば金を受け取るのに、金を払って大学院に行き、しんどい思いをする、しかも、教員の気分次第というのが原因で、となると大学院ってひどい所だとなるだろう。
どこまで努力しても不十分と言われるかもしれないし、十分活動しているのに、単位でおどされていると感じることはないだろうか。
そもそも、大学・大学院の単位や卒業・修了は教員の気分次第でどうにでもなる面があるだろうが、教員の気分次第って精神的にしんどいだろう
研究成果がでないといけないという場合、そんな運に振り回され、修了(卒業)できるかと悩むのがまともだろうか。

 優れた研究成果がでても、それって学生の成果物として、自分のものにできるのか、それがどこかに発表するのであれ、特許で収入になるのであれ、成果を最も得ることができるのは誰か、教員が発表の最大の手柄獲得者になっていたり、特許などで収入が入る場合、自分の取り分はどれだけか、あるのかないのか、そこは調べておくべきだろう。
学生はただの作業係で、教員からすればいくつかの研究テーマを何人かの学生にやらせて、やってみないとどうなるか分からないなかでうまくいった研究テーマがあれば教員が最も手柄を得て、研究テーマや指導の仕方が悪く、ろくな成果がでない学生がいても使い捨てとなっていないだろうか。
就職して、労働の対価を得るのと比べてどうだろうか。
その辺りを考えたほうが良いだろう。

 このようなことがそれぞれの場合で当てはまるかどうか、考えたほうが良いのではなかろうか。
  
Posted by 大学教員を許さない at 21:53
・大学4年間のうち、2年経過した時点で(2年で条件を満たさなかった人は2年以上で条件を満たした時点で)短大2年間の卒業資格を与えるべきである。
 なぜなら、文系なんかその大学学部学科に入ったことが重要で、大学の授業などどうでも良かったりするだろうし、だったら2年で短大卒の資格を与えて、その大学学部学科に合格して入学し高卒ではない何か卒業したという形で、就職でも起業でもその他でも、参加するに値しない授業に金を払って参加する無駄をカットできるようにすべきだろう。
 理系も、入ったけど思ったのと違うと思った時、合格して入学して時間が経過したから2年で短大卒の資格を得れて、文系学部に転部して無駄な授業を聞かなくても、文系なんかそこへ入学する学力があったということが重要なのだから、という形にすべきだろう。
 体育学部はプロスポーツレベルの話って自分が選んだスポーツができるかどうかで、体育学部の必要はないし、美術も大学である必要はないだろう。音楽は、一定の技術レベルの人が集まって演奏というのはあるかもしれないが、途中で進路変更する場合、中退して高卒扱いでなく、2年で短大卒の資格を与えてやったらどうだろうか。
 行く価値がないのに中退だと高卒扱いで4年無理に行くのは無駄だと思うし、例えば工学部で技術をするとか、音大で本当に音楽を目指すとかでなかったら、高卒でなく卒業の形だけのために4年間は無駄だと思う。そんなのに金を払い、それで大学は金を確保し、教員・職員は給与を得ているわけだ。払うに価値のない金だろう。

・大学院に行かないよう指導する
以下、基本的にという話になる。学部でできるように指導すればよく、大学院は必要ない。理系の技術は学部で学んだので就職するなりなんなりすればよく、金を払って大学院に行かなくても、金を受け取って仕事ですればよい。文系って大学院に意味があるのか疑問。体育も美術も音楽も、大学院何ていう形を作ってする必要はない。

・小学生か中学生に簡単なことでよいから、5日間とかでよいから、給与を与えた仕事をする時間を作るべきだ。当然、所得税などの社会システムも学ぶこととする。このことにより、学校教育のために金を払う価値があるか、そのお金払う価値があるかを考えてもらう。それ払って進学する意味があるのか。学校の提供しているものがそのお金を払うに値するか考えてもらう。

学生を大学教員・学校教員・職員の収入獲得の道具にして、価値のないことを提供し、学生の時間をつぶすのを防止するための策が必要である。
  
Posted by 大学教員を許さない at 22:42
大学入学共通テスト

改革すべき問題意識
科目を削減し費用を削減し、受験料を減額するべき。
受験者が少ない科目は、行いたければ個別大学が実施すべき。個別大学が試験を工夫すべきことである。
受験者が少ない科目は科目間の平等性を確保するのが難しい傾向にあるだろう。そもそも、科目選択をする時点で平等と言えない。

数学
数学1と数学2は廃止すべき。
代わりに、数学1Aや数学2Bを受験すればよい。

理科
地学は廃止すべき。地学基礎は実施すべき。
地学は受験者数が少ないだろう。

外国語
英語以外は廃止すべき。
受験者数が少ないだろう。
現状では、外国語を一つ学習するなら英語となるであろう。
英語以外の外国語で、どの言語を試験し試験しないかの公平な判断が難しいだろう。

地理歴史公民
世界史Aと日本史Aと地理Aを廃止すべき。
代わりに、世界史Bや日本史Bや地理Bを受験すればよい。

地理歴史公民の高校での学習については変更が考えられているのであろうが、
高校で必修学習の部分を大学入学共通テストで必修問題または選択必修問題とし、高校で選択学習の部分を選択問題・選択科目とすべき。
高校課程に、共通学習部分や選択共通学習部分を作り、それに加えて選択部分を学習するなど、共通学習部分や選択共通学習部分という観点から高校課程の科目区分を考えるべきである。

外国人留学生について
原則、日本が金銭を負担すべきでない。
外国人留学生は日本人より一般論で多くの対応が必要となると考えられる。入学人数や日本への適応などの観点から、適切な制度とすべき。

外国人教員・外国人職員について
日本人の雇用を奪ってまで必要な人材か十分検討すべき。
雇用にあたり一般論で日本人より多くの対応が必要となるであろうが、それでも必要な人材か十分検討する制度とすべき。
  
Posted by 大学教員を許さない at 00:28

2021年10月08日

大学改革案

大学の設置学部の整理

通学の大学について

法学部・経済学部・文学部・外国語学部の学生数の削減
通学の大学で多くの学生が学ぶのは時間の無駄。

農学部の学生数の削減
農業林業水産業畜産業は仕事でやった方が効果的。

理学部の学生数の削減
工学部・農学部・医学医療系学部でやっていないことで必要なものに内容をしぼるべき。理学部より工学部・農学部・医学医療系学部の本当に必要な部分を学ぶべき。

体育学部の学生数の削減
スポーツは体育学部でなくとも好成績の人がいるだろう。

美術大学の学生数の削減
大学で学ぶ必要はない。

医学医療系学部の検討
各医療内容が有益か有害かを調査し、整理すべきである。その結果、医学医療系学部の学生数がどれだけ必要か考えるべきである。

音楽大学の学生数の検討
一定以上の技術を持つ人で演奏・合唱をすることは意味がある、ただし、学生数が適切かは考えるべき。

工学部について
この内容は設備の関係で大学でというのは一つの考え方である。

一般教養について
健康や救命や法律について学んだり、数学・理科を苦手な人が学ぶことは意味があるだろう。しかし、単に単位数を確保するためというのであれば、そんな一般教養は必要ない。必要だから学ぶのであれば、全国共通内容で構わず、共通の映像授業を用意するのも一つの方法だし、下宿しなくとも実家の近くの大学でもどこで受けても構わないことにすべきである。
一般教養・専門のどちらに分類するかはあっても、数学や理科や外国語のように、専門分野の基礎となる内容は、必要ならレベル別の選択授業を設定して、全国共通で構わず、共通の映像授業やどの大学で受けても構わないようにすべきだろう。
本当に必要な一般教養か、嫌々してたいして意味もなく終わるのなら、廃止すべきだ。最終的に必要なのは、必要なことを必要時に学べる人になることであろう。

大学低学年
大学入学の頃は、特にその大学でなくても良い内容なら、どこの大学や映像授業でも単位取得できるようにすべきである。入学大学で学ぶのを指定するのは内容により1年後期や2年からでもよく、実家近くで学んだり、好きな場所で学び、入学大学に拘束されずに、自分の人生を考えることができるようにすべきである。学校が全てではない。入学大学で1年前期に授業をするにしても、まとめてすればすむものなら、まとめてするのも一つの方法だろう。

通学以外の大学
通学大学の定員を削減した結果大学に行けない場合で大学で学びたい場合、映像での大学や、通信大学を使うべきである。対面ですることが有益なものは対面を取り入れるとよい。その内容を学ぶのに通学するのがよいか、大学がそれほど実際問題意味のあるものか、社会の有り様を考えることも必要である。

専門教育
一般教養でも同様だが、意味のあることならともかく、単位数を確保するために無理やり設置する授業はやめるべきで、不要な単位数を減らして卒業できるようにすべきである。
一般教養は法律を最低これだけは知ってほしいということで教えるようなことはともかくとして、無意味に授業をすべきではない。専門を1年から学べる内容なら専門が目的であろうから、早期に学べるようにすべきである。

大学の評価
大学で学ぶことがそれほど価値があるか、通学が必要かや、不要な内容を削減するなど、大学や社会の有り様を考えるべき。また、大学以外でも学ぶことはでき、大学にこだわらない社会にすべきである。
  
Posted by 大学教員を許さない at 00:20

2021年10月07日

学校改革案

学校を少なくとも、できるようになりたい人ができるようになる指導を受けられる場所にすべき。行ってもできるようにならない指導ではダメだ。その結果、塾は不要の社会にすべきである。学校のあり方を適するものに整えるべき。

国語、算数・数学のような教科は映像授業と教材を何種類か作り、国民に公開し誰でもが自分に適したものを選択して使えるようにするべき。というか、既に誰かが作り、公開しているものを使うのも一つの方法だろう。
授業がわからない人に別授業を提供するか、映像学習コースを作り、質問係を用意して対応するべき。分からない授業を聞いても無駄。
その結果、自分の段階に応じた内容を学年に関係なく学ぶことができるようにするべき。
また、映像授業を使えば、在学中でない人でも、誰でも学べるようになるだろう。
その結果、学校授業や映像授業で理解でき、もっとハイレベルのものと思ってもそういう映像授業があるようにすれば、塾は不要になるだろう。
学校では分からないから塾へ行くという無駄をなくすべき。

実技教科の実技も、その内容の指導員で、適する人数で、段階分けが必要なら段階別にして、習い事教室でも代替できる制度として、まともな指導をせずその結果できるようにならない無駄な授業はやめるべき。
  
Posted by 大学教員を許さない at 01:23
 まずはじめに、学校でいじめられて自殺した人・自殺未遂者などの方、嫌がらせ目的とかそういう方向性でこれを書いていないということを述べておきます。

 学校でいじめられたからといって自殺すべきではない。
なぜなら、学校で習うことは、全てかどうかはおいておいても学校以外でも学ぶことができる。
本やインターネット(動画を含む)を使って自分で勉強することができる。
学校以外に教えてくれる所がある。学校で習うか別の場で習うかの違いで例えばスポーツはスポーツだ。


 人との関わりとかいってみても、自殺する程のいじめを受けて、その状態で、学校での人との関わりを学ぶとかいうレベルの話でないだろう。
学校以外にも人はいるし、似たような年齢の人と従業員(学校にもよるだろうが)の環境って一つのある環境ではなかろうか。

 いじめる人の前に自分がいるからいじめられる面はあるであろうから、転向・卒業・中退などその学校から離れた後は、そういう学校とは関わらないのも一つの方法かもしれない。

 学生は客だ、いじめを受けて自殺しそうな場合、従業員がいじめ問題を解決していないという状況があることは確かであろうから、その学校に関して上に書いたことを参考にしてみてはどうか。
なお、義務教育の小学校・中学校を休むことが良いことかどうかについては、良いとも悪いともその他の意見に関してもこの文章にて述べない、コメントしないこととします。  
Posted by 大学教員を許さない at 00:15
 理科系の大学院へ行って修士・博士をとろうと思っている人、やめたほうがいい。
金がかかる、そして、金を得る機会を失う。
研究室のテーマに沿って研究って、そういう研究室の研究を進めるのは従業員を雇ってすべきこと、金を払う客は自分のためになることを学ぶべき、しかし、研究室のテーマを進める作業をやらされる可能性あり。
返済必要な奨学金を抱えて大学院生活が終わる、実質的借金が増えていくと思いながらの大学院生活、それって精神的にいいことかなという疑問あり。
大学院後の実質的借金にしばられた生活は楽しいのでしょうか?
その前に、大学院後の生活はあるかどうか、大学院で大学のせいで自殺に追い込まれることがないなんて言い切れるかなという疑問あり。

 それでも大学院へ行きたい人は、上述のこと、よく考えてからどうするか、私の人生ではないので私が決めることではない。
お金のことがきちんとできていて、中退しようが大学院を修了しようがお金のことは大丈夫という人のことは知らないが。  
Posted by 大学教員を許さない at 23:47
 医学部の大学による不正入試、実は大学従業員による学生へのハラスメントや大学従業員のせいで学生の自殺と同じ部類と見て構わないだろう。
学生を返済しなければならない奨学金という借金づけにし、学生が奨学金返済に困り死んでも関係ないなのでは?、大学従業員は何をしてくれるのかな?、
どこかの店で、客にハラスメントをしたり、従業員のせいで客が死んだり、そんなの通るかな。
これらの問題は、要するに、大学従業員は学生を殺そうが何をしようが構わない、学生は大学に金をたくさん出せ、学生はどうなっても構わない、という発想で大学が運営されている、大学が横暴の場であるということが根本にあるであろう。

大学に限らず学校自体がそうであろう。
学校ってできるように指導をきちんとできているのかな。
そうしたらできない奴を留年させるとかふざけた発想になるのだろう。
まともに教える能力を発揮しないくせに、つまりできるように指導しないくせに、基準だけあげて留年させるとかそういうふざけた発想が学校であろう。
できるように指導しない、学生への迷惑行為、大学は従業員の横暴の場。

医学部不正入試だが、受験料を払っている場合、虚偽の内容で金を仮に集めた場合があれば、詐欺という犯罪になるのでは。
犯罪者がいる場合には刑務所へ行っていただきたい。
子供がちょっとしたものを万引きしたら犯罪とかいうのだったら、仮に犯罪行為があれば立件すべきである。
教育とかいうけれど、教育されるべきは学校従業員である。
小学校・中学校・高校の従業員も学生に犯罪を犯してはいけないとか偉そうにいうのだったら、普通に考えて医学部不正入試に犯罪者がいる可能性が大いにあると思われるが、100円の万引きより、もっと大きな医学部不正入試に犯罪者がいるかどうか、いるなら立件されるべき、この問題どう考えているのかな。

医学部不正入試に犯罪者がいる場合、犯罪者は刑務所へ行ってください。

不正をした大学は、合格基準に達していない人が卒業している可能性があるのですよね。そこの卒業証書はそういうものなのですね。
疑問なのだけど、実際どうなっているのかな。

ついでに、医学部に金を払って金の力で入った人が世の中にいると思っている人がいるかもしれないが、そういうことがあるかどうか、不正入試が金を払った見返りに本来合格でない人を合格にしたことがあるかないか、このたぐいの問題に関し著者はあるともないともその他事実がどうかはこの記事にてふれませんが、どうなのか、調査し公表すべきなのではと思う。
  
Posted by 大学教員を許さない at 23:40
 お金に関して(奨学金や資金支援制度のようなものについて)

 防衛医科大学校や自治医科大学や産業医科大学ではお金に関して実質的に支援する仕組みがあるかもしれない(正確な情報は各自で確認してください)。他の医学部医学科でも、勤務地や仕事内容に条件がついて、お金に関して実質的に支援する仕組みがあるかもしれない(正確な情報は各自で確認してください)。

 しかし、お金に関して支援があるということは、その代わりに何かがあるかもしれない。
もし、途中でできなくなったら、ついていけないとか、病気や事故とか、現実を見て耐えられないとか、国家試験に受からないとか。
その時に、お金を返還しないといけないのかどうか、利子がいるのか、いるとしたらどのくらい。
保証人・連帯保証人についてはどうか。
病気や事故で続けることができなくても返還しないといけないのか、自分が死んでも保証人・連帯保証人が必要な場合その人たちは払う必要があるかどうか。

 自分や保証人・連帯保証人が自殺したり自己破産したとしても、願書を出すまでは受験者数や受験料確保でいらっしゃいませで、いざとなったら自己責任です、とならないか?従業員にとってあなたは他人だ、いざとなればどうでもいいとできるわけだ。
 きちんと書面なり何か証拠に残る形で法的に認められる形で正確にはどんなのだったらいいかは自分で考えてください、とにかく何かいいことを言ってきてもその辺りのことを納得にいくようにしておかないと後で想定外の困ったこととなるかもしれない。

 もし仕組みが、後で何かをするように指定されていることをしなかったらお金を払う必要があるのだったら、借金しながら在学すればするほど額が大きくなるのだったら、それって借金が増えていくのを感じながら在学することになり、精神的に負担ではなかろうか。憲法との兼ね合いで、債務奴隷ではありませんと説明するかもしれない(ここの部分について受験先がどう説明するか分かりません)が、実態がもし指定した労働をしなければ金を払う必要があるのなら債務奴隷である。

 受験時確認しないと、時間が無駄になったとか、お金が無駄になったとか、知らずに入ってしまって困ったとか、合格したけど実態を知って入学しないのでこれだったらそもそも受験しなかったので時間やお金が無駄とか、その辺りの可能性についてはどうか。

 奨学金にしても、返済が必要な場合、上に書いている内容を奨学金に変えて参考にできる部分を考えるといかがか。奨学金に関しては、医学部医学科志望者以外にも参考になるだろうし、医学部医学科以外でもお金の支援の仕組みがあったとしても実態がどうか、上に書いてあることを参考にできるかもしれない。

 そこに入るかもしれないということで受けるかどうか考えるわけだし、受験料を払ったりお金を払って入学するなら、きちんと調べておいたり問い合わせるといいかもしれない。ただし、こんなことを聞いてくる奴は不合格にするとなるかどうかは分かりません。実際問題何をしているかしていないのか分からないので。  
Posted by 大学教員を許さない at 00:52
 アカデミックハラスメントの被害を受けたくなければ学生自身がそのような環境を作る努力が必要であろう。

 学校経営者は学校サイドの人間で、学校の利益を守るために活動することが考えられる。従って、アカデミックハラスメントが起きた際にはこれは問題だとせざるおえなくても学校のダメージを少なくする方向に行動する可能性がある。
 学校従業員も、問題にせざるおえなく問題とする場合があったとしても、係として仕事として対応したというまでの話で、学生に対してハラスメントと認定される内容が少ない方がその学校従業員自身にとって得であり、学生のことを本当の意味で考えてはくれない可能性がある。
 政治家は、どうしても自分がこれから学校に行く必要はないであろうから、国民に自分が評価されるというチャンスであれば自分自身にプラスの評価になるのであれば動くということになる可能性がある。
 行政を行う公務員は、自分が学校にこれから行く必要はないであろうから、仕事として係として自分の対応に責任を問われないように対応するということになる可能性があるであろう。
 マスコミは、その報道がビジネスとして役立つのであれば取り扱うかどうか判断するということになる可能性があるだろう。そして、マスコミは誰かが被害を受けたとしても、視聴者がいてビジネスになることが起こらないと困るということが考えられるだろう。誰かが被害を受けることが起こるのが良いことかどうかという問題はあったとしても。
 弁護士は、弁護士という仕事・ビジネスとして取り扱うかどうかということになる可能性があるだろう。そして、誰かが被害を受けて仕事の依頼がくるということがなければ弁護士は困るということがあるかもしれない。誰かが被害を受けるのが良いことかどうかという問題はあったとしても。


 結局、上に挙げた人全て、学生がアカデミックハラスメントを受けずに楽しい学校生活をして欲しいと純粋に学生のためにそう思っている人はいない可能性がある。

 〈アカデミックハラスメントを受けないように学生ができること〉
・アカデミックハラスメントを批判する内容をインターネット上に発表し、アカデミックハラスメントを問題とする社会環境を作る。(匿名でインターネットに発表することもできるであろう。)
・大学の授業選択において、調査を行い問題教員の授業を選択しないようにする。
・卒業者・中退者・在学生や発表などから調査し、問題教員・問題従業員とはなるべく関わらないようにする。
・アカデミックハラスメントを受けたらあるいは他人が受けているのを知ったら、学校・警察・消費者庁・国民生活センター・弁護士・友人・親・自分よりも頼りになる大人などから適切で自分がここと思う相手に、通報・相談・抗議などから適切でこれと思う内容を行う。(他人が被害を受けている場合でも、次は自分がその従業員または別の従業員から被害を受けることになるかもしれません。)
・アンケートに発生したアカデミックハラスメントの内容を反映させた記入を行う(複数の人で行うのも一つの方法かもしれない)。問題教員の教育業務からの排除を求める記述を行うのも一つの方法かもしれない。
・署名活動や意見書や質問書を提出するのも一つの方法かもしれない(複数の人で行うのも一つの方法かもしれない)。


 〈アカデミックハラスメントを受けると特に困ると思う場合〉
 選択授業で今回その授業で単位を取れなくても、次の学年に進めてもう一度別の授業を選んで単位を取れば進級・卒業に問題ない場合は、アカデミックハラスメント受けさらに不当に単位を取得できなくても、被害を受け余分に作業をしなければならなかったとしても、なんとかなる場合もあるかもしれない。だからといってアカデミックハラスメントを問題ないと言っているわけではありません。
 しかし、研究室配属のような一定期間それなりの時間それなりに関わって過ごす必要があり得て、さらにその結果進学や就職や起業活動や他の大学生活にも大きな影響がでるかもしれない場合大問題になるかもしれない。

 〈こんな人は比較的アカデミックハラスメントにうまく対処できるかもしれない人〉
 正社員・起業などでそれなりの活動をしていてそのなかでアカデミックハラスメントへの対応力をもって大学へ入学し、アカデミックハラスメントに対処するのをそれほど難問とは思わない人。  
Posted by 大学教員を許さない at 00:45Comments(0)